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ジャン5世(Jean V de Bretagne, 1389年12月24日 - 1442年8月29日)は、ブルターニュ公及びモンフォール伯(在位:1399年 - 1442年)。ジャン4世とジャンヌ・ド・ナヴァールの嫡男。賢明公(le Sage)。名高いリッシュモン元帥ことアルテュール・ド・リッシュモンの兄。ブルターニュ継承戦争の最中に死去した祖父のジャン・ド・モンフォールを正式なブルターニュ公として数えるため、イングランドではジャン6世と数えるが、本項ではジャン5世で統一する。 == 生涯 == ヴァンヌのエルミーヌ城で誕生。1399年に父のブルターニュ公ジャン4世が死去するが、父はかつての政敵であるオリヴィエ・ド・クリッソンを子供達の後見に指名していた。クリッソンは後見役を忠実に果たし、フランス王シャルル6世の支持を得て、同年末には継承権を主張しようとしていたブルゴーニュ公フィリップ3世や娘婿のジャン・ド・パンティエーヴルなどを抑え、ジャン5世としてブルターニュ公位につけた。そしてシャルル6世とイザボー・ド・バヴィエールの間に生まれたジャンヌ・ド・フランスと結婚させ、ブルゴーニュ公を共同の後見人とした。 後のイングランド王ヘンリー4世が従兄弟であるリチャード2世によって追放され、ブルターニュ公ジャン4世によってナントに保護されている際に、母のジャンヌ・ド・ナヴァールはヘンリーに籠絡されたらしい。そのため、1399年にジャン4世が死去した後、ジャンヌはヘンリー4世と1403年に再婚してイングランドに渡った。クリッソンはフランス王と相談して、ジャン5世とその弟3人をイングランドに連れ去られないように手を打った。 1420年2月12日、マルグリット・ド・パンティエーブルとその息子のオリヴィエ・ド・ブロワに和解の為の狩猟と称して呼び出され、弟リシャールと共にパンティエーブル領のシャントソー城に幽閉された。 そのことを知った弟アルテュール・ド・リッシュモンが「犯された悪事をたださんが為」とヘンリー5世に放免を願い出るがかなわなかった。 ジャン5世の妻、ジャンヌ公爵夫人(Jeanne de France)は、弟である王太子シャルルに手紙を書き、二人の子供を連れてブルターニュ議会に乗り込んだ。 そこでの彼女の訴えに貴族たちが感動し、ジャン5世の救出を誓った。 その際、満場一致でリッシモンを頭目に指名され、ブルターニュ尚璽官マックストロワを長とする特命全権使節団をブルトン軍を指揮して、国の正義を回復するため、リッシモンを貸してもらえるように、ヘンリー5世に請願がなされた。 マルグリット・ド・パンティエーブルはシャントソーで武装した数千のブルトン人に包囲され、7月にジャン5世を釈放した。 ジャン5世は父のジャン4世と異なり温厚な平和的な性格で、ブルターニュ継承戦争を完全に終結させることに成功した。ジャン5世は常備軍とブルターニュにおける税制により、ブルターニュ公としての権威を保った。ジャン5世は芸術と教会の後援者であり、いくつかの聖堂の建造を支援した。 ジャン5世は常に弟アルテュールの有力な支援者であった。アルテュールがアジャンクールの戦いで捕虜となると(結果的には解放されなかったものの)身代金を用意し、後にフランス元帥となったアルテュールの常備軍の要であるブルトン兵を提供した。結果的にそれがフランス王シャルル7世の常備軍の基礎となり、フランス王権の強化の遠因となる。 ジャン5世は親仏反英の姿勢を貫いたアルチュールの影響を受け、一貫してフランスに好意的中立を保ち、後にフランス陣営に参加する。しかし、ブルターニュの半独立の姿勢を貫くことでは兄弟一貫していた。そのため、ブルターニュ公領外の封建領についてはフランス王に単純臣従を行ったが、ブルターニュ公位については名目的臣従の姿勢をとった。 1442年にジャン5世が死亡すると、アルテュールの後見の下にブルターニュ公位及びモンフォール伯位は嫡男のフランソワ1世が継ぎ、フランソワが後継者なく死亡すると、その弟のピエール2世が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャン5世 (ブルターニュ公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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